東京地方裁判所 平成11年(ワ)14731号 判決
原告 松野健作
被告 学校法人慈恵大学
右代表者理事 岡村哲夫
右訴訟代理人弁護士 高橋明雄
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は、原告の負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する平成八年七月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は、被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 被告は、東京都狛江市和泉本町四丁目一一番一号に所在する東京慈恵会医科大学附属第三病院(以下「本件病院」という。)の経営者である。
2 原告は、平成八年四月三日、本件病院における最初の診療により被告担当医師から胆石症との診断を受け、同年七月一一日、胆のう摘出の手術を目的として、本件病院に入院した。
3 被告は、同月二二日、原告に対し、準備麻酔をかけ、手術に着手した後、正当理由なく手術を中止し、原告に退院すべき旨を告知した。
4 原告は、同年八月一六日、やむを得ず本件病院を退院した。
5(一) 原告は、平成九年七月一六日に腹部激痛が生じ、翌一七日に木下病院で診察を受けて急性胆のう炎で同病院に入院し、同月二八日、杏林大学病院に転院した後、同年八月一三日、同病院救急医学教室において、有症状性胆石と胆のう炎の緊急手術を受けた。
(二) 原告は、被告が正当理由なく手術を拒否した結果、右のとおり、胆石症が悪化して胆のう炎を併発するに至った。原告は、被告が、手術により原告の胆のうを摘出していれば、急性胆のう炎や胆石症を発症せずにすんだはずだからである。
6 原告は、被告の手術中止によって、胆のう炎を併発し、精神的・肉体的な損害を被ったが、これに対する慰謝料は一〇〇万円が相当である。
7 よって、原告は、被告に対し、診療契約の不履行ないし不法行為に基づく損害賠償として、一〇〇万円及びこれに対する平成八年七月二二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否及び反論
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2の事実は認める。原告が、本件病院に入院したのは、原告の手術希望に基づくものであった。
3 同3の事実のうち、正当理由なくという点は否認し、その余の事実は認める。
4 同4の事実のうち、やむを得ずという点は否認し、その余の事実は認める。
5(一) 同5(一)の事実は認める。
(二) 同5(二)について、被告における手術拒否と原告の胆石症の悪化及び胆のう炎の併発との間に、相当因果関係があるとの主張は否認する。
6 同6は否認する。
7 同7は争う。
三 被告の主張
1 被告が原告に対する手術を中止したのは、正当な理由に基づくものであり、診療契約の不履行ないし不法行為を構成しない。
(一) 被告が原告に対する手術を中止した経過は、次のとおりである。
(1) 原告は、平成八年四月三日、医療法人社団九折会成城木下病院(以下「木下病院」という。)北沢栄次医師から東邦大学大橋病院あての紹介状を持参して、本件病院に来院したが、右紹介状には、原告は、木下病院において患者との間に紛争が生じて退院になったと記載されていた。
(2) 原告は、右同日、最初の診療により胆石症との診断を受け、被告担当医師に対し、手術を希望したので、被告担当医師は、その後、原告に対し、通院による精密検査を実施するとともに、胃潰瘍の既往疾患に対する投薬治療を行った。
(3) 被告担当医師は、同年五月二二日、原告に対し、検査結果の総括説明を実施したところ、原告は、被告担当医師に対し、「手術に対しては積極的には考えていない。先生が是非にというならやる。」と述べて、手術に対する消極的意思を示した。加えて、原告の胆石症は無症候性で血液検査データ上も明らかな異常はなく、手術の絶対的適応ではないため、被告担当医師は、経過観察を行うこととした。しかし、原告は、同年六月二八日、再び手術希望となり、手術のための入院を予約した。
(4) 原告は、通院中、被告担当医師の指示した服薬を勝手に中止することがあったので、被告担当医師は、原告に対し、服薬の必要性を再三説明した。
(5) 同年七月一一日、原告は、本件病院の四B病棟に入院し、被告担当看護婦が、原告に対し、入院規則について説明し、被告担当医師が、原告に対し、服薬の必要性と局所安静のため歩行はトイレのみ可であることを説明した。
(6) 原告は、同月一二日午前一二時ころ、無断外出し、約一時間後に帰院したので、被告担当医師が、原告に対し、院内規則を守るよう注意、説明した。
(7) 被告担当医師は、同月一三日、原告の妻松野静子に対し、「今回の入院は原告本人の手術希望によるもので、原告の症状は、絶対的手術適応ではない。原告は、外来通院時から入院後も、本件病院の治療方針や院内規則に従ってくれない場面があり、今後トラブルが続くようであれば、被告は、原告に対し、手術を施行しない。」旨説明した。
(8) 原告は、同月一七日、本件病院の他病棟である七B病棟の風呂予約表に記載された他人名を消去して勝手に自己の名前を記入し、他の患者を排除して無断入浴した。
(9) 原告は、同月一八日、再び無断外出した。
(10) 被告担当医師は、同月一九日、原告及び松野静子に対し、右(7) と同様の説明をし、原告と松野静子は、右説明を了承した。
(11) 被告は、同月二一日、四B外科に入院している他の患者の家族から、原告が、同人に対し、右患者の聞こえるところで、「あなたの御主人は癌なんだってねえ」と言ったとの苦情を受けた。
(12) 原告は、同月二二日、被告に対し、回診時に本件病院である第三病院長あてに不良患者呼ばわりされるのは遺憾である旨の書面(以下「本件意見書」という。)を提出した。被告は、これまでの経緯を踏まえて本件意見書の内容を検討した結果、手術直前にこのような書面が提出されるようでは患者と医師との間の信頼関係が築かれていないと判断し、既に、原告に対し、準備麻酔をかけ、原告をストレッチャ-に移動後であったが、原告に対する手術を中止し、原告と松野静子に対し、右旨を説明した。
(13) 原告は、その後も無断外出、回診時の不在や時間外入浴を繰り返し、さらには、女性が入浴中に浴室の扉をこじ開けようとするなどの行為に及んだ。被告は、原告に対し、再三にわたって手術中止の理由を説明し、退院を勧めたところ、原告は、同年八月一六日になって、本件病院を退院した。
(二) 手術は、合併症を起こすおそれがあり、危険を伴うものであるから、手術を行うためには、患者と医師との間の信頼関係が必要であるが、被告は、(一)に記載した原告の通院中及び入院後の言動から、原告に対する手術を行う条件が整っていないと判断した。
また、原告の胆石症は、良性疾患であり、かつ、その症状からみて手術の絶対的適応ではなく、原告に対する手術を中止することが、その時点における原告の生命予後に大きな影響を与えるとは考えられなかった。
2 杏林大学病院における原告に対する手術は、急性胆のう炎と胆石によるもので、本件病院における胆石症は無症状であったところ、退院後約一年後に急性胆のう炎が突然発症したものであるから、本件病院における診療行為とは何ら因果関係がない。
四 被告の主張に対する原告の認否及び反論
1(一)(1) 被告の主張1(一)(1) の事実は認めるが、紹介状に記載されている事実は存在しなかった。
原告は、手術設備もない町の病院よりも高度の医療を提供する病院がいいと思って木下病院を退院したのであるが、木下病院は、原告が、退院の前日、他の入院患者と論争したため、患者との紛争が原因で退院したと誤解したのである。
(2) 同(2) の事実は認めるが、被告担当医師が原告に対し胆のう摘出手術を勧めるから、原告は右手術を希望したのである。
(3) 同(3) の事実のうち、原告が平成八年六月二八日手術を希望し、入院を予約した点は認め、その余の事実は否認する。
被告担当医師は、原告の胆石症が無症候性なのか、有症候性なのか不明であった。
(4) 同(4) の事実は否認する。
原告は、被告担当医師に対し、前医でもらった薬がまだ残っており、薬は不要である旨述べた。
(5) 同(5) の事実のうち、原告が平成八年七月一一日本件病院の四B病棟に入院した点は認め、その余の事実は否認する。被告担当看護婦は、原告に対し、「入院のご案内」というパンフレットを渡しただけであり、被告担当医師は、原告に対し、被告が主張するような説明をしていない。
(6) 同(6) の事実は否認する。原告は、病院の敷地内にある戸外のベンチにいたのであり、無断外出はしていない。
(7) 同(7) の事実のうち、松野静子が被告担当医師と面談したことは認め、その余の事実は知らない。
(8) 同(8) の事実は否認する。
(9) 同(9) の事実は否認する。
(10) 同(10)の事実のうち、被告担当医師から原告及び松野静子に対し説明があったことは認めるが、原告と松野静子が、右説明を了承したという点は否認する。
(11) 同(11)の事実は否認する。
(12) 同(12)の事実のうち、原告が被告に対し、本件意見書を提出したこと、被告が原告に対し、準備麻酔をかけたこと、原告をストレッチャーに移動したこと、その後原告に対する手術を中止したことは認めるが、被告が松野静子に対し、手術中止の理由を説明したことは知らない。その余の事実は否認する。
(13) 同(13)の事実のうち、原告は平成八年八月一六日本件病院を退院したことは認めるが、その余の事実は否認する。
(二) 同(二)は否認する。
(三) 被告担当医師が、原告に対し、原告との信頼関係が崩れた理由として挙げたのは、<1>原告が手術前から内服薬を飲まなかったこと、<2>原告が無断外出をしたこと、<3>手術日に本件意見書を提出したことの三点である。
<1>の点については、原告は前医でもらった内服薬を所持していたので、被告担当医師に薬はいらない旨を申し入れたにすぎず、<2>の点については、本件病院の「入院のご案内」によれば、外出は「相談」をすればよいことになっているのに、被告は勝手に外出を許可制に解釈しており、原告は外出に際し被告に必ず相談しているので原告は院内規則に違反していないし、<3>の点については、「入院のご案内」上も、入院時の患者調査書上も意見書の提出行為は認められており、原告はこれらに従って本件意見書を提出したものであって、<1>ないし<3>の各事情は、被告が原告に対する手術を中止する正当な理由とはならない。
(四) 被告担当医師は、診療録に、原告について「前医でも入院中トラブルで退院している」、「psychotic」(精神科疾患)と記載しておきながら、原告に対し、前病院における紛争の内容について尋ねるとか、精神科の受診を勧めるなどの対応を一切せず、原告との信頼関係を築こうとしなかった。
(五) 被告は、平成八年七月一一日当時、同年一月ころに起きた原告の腹痛の原因について、胆石症の疼痛発作によるものか、胃潰瘍によるものかわかっていなかったから、原告の胆石症が有症状だったのか、無症状だったのかについても判明していなかった。したがって、原告の症状が絶対的手術適応ではないということはできなかった。
理由
一 被告が本件病院の経営者であること、原告は平成八年四月三日本件病院における最初の診療により被告担当医師から胆石症との診断を受け、同年七月一一日胆のう摘出の手術を目的として本件病院に入院したこと、被告は同月二二日原告に対し準備麻酔をかけ手術に着手した後手術を中止し、原告に退院すべき旨を告知したこと、原告は同年八月一六日本件病院を退院したことは、当事者間に争いがない。
二 被告が手術を中止したことが、債務不履行ないし不法行為に当たるかについて判断する。
1 被告の主張1(一)(1) 、(2) の各事実、原告は平成八年六月二八日胆のう摘出手術を希望して本件病院への入院を予約したこと、原告が同年七月一一日本件病院の四B病棟へ入院したこと、松野静子が被告担当医師と原告の入院中に面談したことがあることは、当事者間に争いがない。
2 前記一及び二1記載の当事者間に争いのない事実と証拠(甲一、五の1ないし14、六の1、2、乙一ないし六、八、一〇、一三、一四、原告)によれば、原告が本件病院に入院し、手術の中止に至った経過として、次の事実が認められ、これに反する原告の供述は採用できない。
(一) 原告は、平成八年四月三日、木下病院北沢栄次医師から東邦大学大橋病院あての紹介状を持参して本件病院に胆石症の手術を希望して来院した。右紹介状には、原告は、木下病院において患者との間に紛争が生じて退院になったと記載されていた。
(二) 原告は、右同日、本件病院の外科外来における最初の診療により胆のう胆石症、胃潰瘍等の診断を受け、その際、被告担当医師は、診療録に「患者は木下病院から他患者とのトラブルでENTとなっている様子」と記載した。被告担当医師は、原告に対し、通院による精密検査を実施するとともに、胃潰瘍の既往疾患に対する投薬治療を行うこととした。
(三) 被告担当医師は、原告に対し、同月四日に点滴静注胆管造影検査を、同月一一日に超音波検査をそれぞれ実施し、同月一七日、胆管造影検査では胆のう内頚部まで陰影欠損があり、結石を疑い、総胆管の頚に陰影欠損があること、超音波検査では、胆のうに多数の結石が認められたことを説明したところ、原告は、手術を希望した。
(四) 被告担当医師は、原告に対し、同年五月一〇日、上部消化管内視鏡検査を実施し、同月二二日、胃に潰瘍があるが、治癒期にあり、悪性所見はない旨説明した。その際、被告担当医師が、原告に対し、胆のう結石の手術について説明をし始めたところ、原告が手術に対しあまり積極的ではないことが判明したことから、同医師は、将来発作を起こした場合には、手術の実施を考慮することとし、今回は内服治療を行って、経過を観察することとした。被告担当医師は、同日の診療録に、「今回の上腹部痛(前医にて)が胆石症によるものかどうか不明」と記載し、また、原告について、「ややpsychotic、前医でも入院中トラブルで退院している」と記載した。
(五) 原告は、本件病院に通院中、被告担当医師の処方薬服用の指示に従わなかったことがあったので、被告担当医師は、原告に対し、服薬の指示を守るように説明した。
(六) 原告は、同年六月二八日に至り、再び手術を希望し、入院の予約をして、同年七月一一日、本件病院の四B病棟に入院した。
(七) 被告担当医師は、原告に対し、腹腔鏡下胆のう摘出の手術、それが不可能な場合には、開腹手術による胆のう摘出の手術を実施することを予定したが、原告には、入院三、四日前から痛風又は化膿性関節炎による右膝部痛があり、発赤と腫脹が認められたため、これらが治まるまで手術は控えた方がよいと判断した。右膝部痛は、原告が服薬の指示を守らないために、尿酸値が上昇して生じたもので、被告担当医師は、原告に対し、服薬の指示を守ることと安静を維持することを指示した。また、被告担当看護婦は、入院に際し、原告に対し、「入院のご案内」を交付するなどして、入院に関する必要事項の説明を行った。
(八) しかるに、原告は、同月一二日午後一一時ころ、無断で病棟から外に出たので、被告担当医師は、同月一三日、原告に対し、無断外出をしないように注意を与えた。原告は、同月一六日には、本件病院の他病棟である七B病棟の風呂に無断で入り、また、同月一八日には再び無断外出をするという行為に及んだほか、病院の同室者と口論をしたり、患者の家族に対し、癌を告知していない患者に聞こえるように「あなたの御主人は癌なんだってねえ」と言うなど、入院患者としてふさわしくない行動が見られた。
(九) 被告担当医師は、同月一三日に松野静子に対し、同月一九日には原告及び松野静子に対し、原告の胆石症は無症状で絶対的手術適応はないが、原告の希望により手術を行うものであること、今後服薬の指示に従わなかったり、無断外出をするなどの原告の問題行動が続いて、医師との間の信頼関係を保てない場合には手術に危険性が伴うため、手術を行わないこと、手術の前後には被告の治療方針に従い規則を守るように説明した。
(一〇) 被告担当医師は、同月二二日午後零時一五分ころ、原告に対し、午後一時半に予定された手術のために、準備麻酔を実施し、ストレッチャーに移動した。その後、被告において、原告が同日に被告に対して本件意見書を提出していたことを知った。本件意見書は、本件病院の院長あてに提出され、「外出には院長の許可がいることを知らなかった私は、入院初日に無断外出というルール違反を犯しました。一般社会と異なる規則は、あらかじめ入院患者に周知徹底させる必要があります。それをせずして「不良患者」呼ばわりされるのは甚だ遺憾に思う次第であります。」と記載されていた。そこで、被告は、手術直前に右のような書面が提出されるようでは患者と医師との間の信頼関係が築かれていないと判断し、急遽原告に対する手術を中止し、原告及び松野静子に対し、手術を中止した理由を説明するとともに、本件病院からの退院を勧告した。
(一一) 原告は、その後も、無断外出、回診時の不在や時間外入浴などを繰り返し、さらには、女性が入浴中の浴室の扉をこじ開けようとするなどの行為に及んだ。被告は、原告に対し、再三にわたって手術中止の理由を説明し、退院を勧告したところ、原告は、同年八月一六日退院した。
3(一) 2に認定した、原告が数回にわたって術前に内服薬を被告担当医師の指示どおり飲まなかったこと、原告には術前において無断外出や無断入浴を行うなど入院患者としてふさわしくない問題行動が多々見られたこと、被告は、原告に対し、原告の行動について注意を与えたにもかかわらず、原告は右行動をやめようとしなかったこと、そこで被告は、原告の問題行動が続くようであれば手術を行わないことを事前に説明していたことなどの状況の下において、手術の直前に原告を不良患者として取り扱う被告の行為を非難する内容が記載され、原告が無断外出について反省していないことがうかがい知ることができる内容の本件意見書を提出したことを知って、被告が原告との信頼関係が保てないと判断したことは、十分首肯できることであって、合理性を欠くものとは認められない。
(二) そして、前記2のとおり、被告は、原告の胆石症について無症候性のもので絶対的手術適応にないと判断していたところ、証拠(甲四、八、一一、乙一ないし六、八、九、一一、一三、一四、原告)によれば、原告は、平成八年一月二三日、上腹部に差し込むような痛さと嘔吐を生じて木下病院に入院したが、その後、原告が同年八月一六日に本件病院を退院するまでの間も、原告において胆石症による発作が生じたことはなく、さらには、本件病院を退院した後も、平成九年七月に発作が生じたときまで、胆石症による発作が生じていないこと、平成八年一月二二日の原告の上腹部痛が胆石症によるものか、胃潰瘍によるものかは不明であったことが認められ、右事実によれば、被告が、原告の胆石症について、無症候性のものであると判断したことが誤りであったということはできない。
そして、証拠(甲一一、乙九、一一)によれば、一般に、無症状の胆石症については手術を行わずに経過観察を続けるとの考えが多いことが認められるから、被告が原告の胆石症について絶対的手術適応でないと考えたことには合理性が認められる(なお、右証拠によれば、手術の採否については、患者の精神的・社会的条件も考慮する必要があることが認められるため、患者の希望の有無を考慮の対象とし、患者が希望する場合には、無症状の胆石症であっても手術適応であるとの判断をすることは、医師の裁量の範囲内であると認められる。)。
したがって、被告が、原告の症状について、絶対的手術適応ではないと判断したことには、合理性があり、これを誤りであったということはできない。
(三) 以上によると、被告が、原告の胆石症が無症候性のものであり、手術の絶対的適応ではなく、手術中止が、その時点において原告の生命予後に大きな影響を与えるとは考えられないと判断したことには合理性が認められる。そして、被告が予定していた原告に対する手術は、前記2(七)のとおり、腹腔鏡下胆のう摘出手術又は開腹による胆のう摘出手術であったが、一般に、右のような手術実施後の外科管理が不十分となる場合に、患者の身体に予想外の結果を発生させる危険性のあることは容易に推測し得ることであり、また、術後の管理には患者自身の協力も必要であると解されることから、医師が、患者との信頼関係が保てないと判断をした場合には、当該疾病について手術が絶対的適応ではないという状況の下で、当該医師が、手術をしないとの結論に至ったとしても、医師に認められた裁量の範囲内の行為として、違法性は認められないというべきである。
そうすると、被告が原告に対する手術を中止したことは債務不履行ないし不法行為に当たらない。
4(一) 原告は、内服薬を指示どおり飲まなかった点について、原告は前医でもらった内服薬を所持していたので、被告担当医師に薬はいらない旨を申し入れたにすぎないと主張するが、2に認定した事実からして、原告の主張は採用できない。
(二) 原告は、無断外出について、「入院のご案内」によれば、外出は「相談」をすればよいことになっているのに、被告は、勝手に外出を許可制にしているなどと主張する。
しかし、「入院のご案内」(甲一)の「外出や外泊をご希望される方は、受持医や看護婦にご相談ください。」との記載は、外出をする場合には、医師や看護婦に相談の上、その指示に従うことを要請しているものと解され、本件の場合も、前記2(七)のとおり、被告担当医師は原告に対し安静を指示していたのであるから、原告が、夜間に、看護婦らの制止にかかわらず病棟から外に出る行動をとったのは、無断外出にほかならず、原告の主張は独自の見解であって採用することはできない。
(三) 原告は、本件意見書の提出について、「入院のご案内」においても、入院時の患者調査書(乙二、七二ページ)においても認められた行為であり、また、本件意見書の内容は手術を行うこととは関係がないなどと主張する。
「入院のご案内」(甲一)や入院時の患者調査書(乙二、七二ページ)によれば、入院中の患者が被告、被告担当医師や看護婦らに対し、希望等を述べる機会が与えられていることが認められるが、そのことと被告が本件意見書の提出及びその記載内容によって、被告と原告との信頼関係を保つことができないと判断したこととは全く別の問題である。前記3(一)に判示したとおり、原告を「不良患者」呼ばわりしたことを「甚だ遺憾」だとする記載内容は、原告の被告に対する抗議の意味が含まれ、また、原告が無断外出をしたことを反省していないことがうかがい知ることができる内容であるから、被告が、本件意見書の提出によって原告との信頼関係は保てないとの判断をしたとしても、不合理であるということはできず、原告の主張には理由がない。
(四) 原告は、被告担当医師が、診療録において、原告について、「前医でも入院中トラブルで退院している」、「psychotic」と記載しておきながら、原告に対し、前医での紛争の内容について尋ねるとか、精神科の受診を勧めるなどの対応を一切せず、原告との信頼関係を築こうとしなかったと主張する。
しかし、診療録における右記載は、原告の状態を把握するために必要な記載であり、これを批判することは当を得ていないし、これをもって被告担当医師が、原告との間の信頼関係を築こうとはしなかったと認めることはできず、またこれを認定するに足る証拠は他になく、原告の主張は理由がない。
三 以上の検討によれば、原告の被告に対する請求は、その余の点を判断するまでもなく理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について、民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 前田順司)